スポーツと眼に関して Ⅰ スポーツと視力
案外、気が付いていない・・・
スポーツ競技(特に球技)の向上に視機能が関わっていること。
また、視機能の改善には「目のトレーニング」「スポーツ競技に合った眼鏡」「コンタクトレンズ」等、眼が悪くても、眼が良くても各人に合った目の機能を最大限に活かすことが、スポーツ競技の向上にも繫がっていることを少しでもご理解頂ければ幸いです。
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スポーツと眼の関係の前に、余談になりますが、「目」と「眼」について
<スポーツと眼>
目と眼:(石垣尚男著引用)
目に関することわざは多い。「広辞苑」にのっている”目が利く”、”目が肥える”などの目のつくことば、ことわざを数えてみたらちょうど百あった。このような場合、ふつう、眼が利く、眼が肥えるとは書かないが、ふと、どっちの「め」を使ったらいいのか迷うこともしばしばである。日頃、何気なく使っている字であるが、目と眼の違いは何だろうか。目は人の目をかたちどった象形文字がもともとで、これを縦にして「め」、ひいては、見る意を表し、転じて「こわけ」の意味になったという(「新字源」)。また、目を部首にして、目の状態・作用を意味する字ができ、さらに目からわかれ、見が独立の部首にになり、これをもとにして見る動作の字ができたそうである。目から眼ができたわけだが、では眼の意味するところは何だろうか。眼は、目と艮(コン)からなっている。艮には、例えば限のように「しきり」の意味があり、眼は目のくぼみをさし、ひいては目全体を表すという。
目も眼も、ともに器官としては「まなこ」である。まなこといった場合は瞳を指すのが通常である。なぜなら、瞳⇒目に映る(のなかに見える)童⇒目の子⇒まなこだからである。したがって、黒目の部分が目で、眼は眼球全体という解釈ないなろうか。また、艮には、とまる、とどまるの意味がある。たとえば、痕は傷が残って消えないことを、恨は恨みを長くもつことを意味している。そうすると、眼は目に止まる。つまり、見たものが長く印象に残るような見方をするときの目が眼ということになる。もっとも、目と眼の使い方にはきまりといったものはないのかもしれない。目の機能や作用には眼を当てるのが通例だから、本書では「眼」を使うことにする。さて、目でものの形、色、様子などを知覚することが「見る」である。「みる」は目射るのことで、目を活用している状態をさす(「大言海」)ので、「みる」の語豪は見る人の心の状態を映していろいろなものがある。
注意して見るのが視る。温かい気持ちで見守るのが看る。観るは、楽しみながら見る。監るは、どこか落ち度がないか捜しながら見る。見たことから総合的に観察し、判断することが診るである。その他あるかもしれないが、スポーツではもっぱら「見る」と「視る」ということになる。
■視力不足のハンディ
人の能力のいわば出力側である筋力、持久力、敏捷性などの体力の諸要素は他車と比較できるが、眼は外界の情報を受容する入力側なので、自分の見ている外界と他者が見ているそれを直接比較できない。代表的なものが視力である。一般に、「眼がいい」というときの「眼」は視力をさしている。同じ情報をみながらも、視力のよい人に見えているピントのあった情景と、視力のわるい人のピンボケのそれとはまったく異なる情景であり、しかも、そこからもたらされる情報の質と量には格段の差がある。しかし、眼の機能からいえば、フォーカスの合ったシャープな影像が得られるのが正常なので、視力のよい人にはわるい人のピンボケの状態がそのようなものかは通常いいたらない。ちなみに、視力のよい人(正視眼)がピンボケの状態を体験したければ、凸レンズをかければ、焦点が網膜の前で結ぶので、近視の人が見ているピンボケ状態を体験できる。また、水中を裸眼で見た場合のピンボケは、水の屈折率の関係から、網膜の後ろに焦点を結ぶ最強度遠視の状態である。
視力はスポーツに必要な視機能のうち最も基礎になるものでありながら、視力に対する関心が指導者にも選手にも少ないように思われる。たとえば、指導者がよい視力である場合に、しばしば視力の低い選手への理解不足が見受けられる。反応の悪い選手や、考えられないようなミスを犯す選手などを「技術が悪い」とか「集中力が欠けている」ことに結びtyけやすいが、それが視力が低いことに原因していることも決して少なくないのである。
第二に、選手自身、他の人も自分と同じように見えていると思っていて視力が低いことに気づいていない例である。プロ野球の選手の中にもときどきあって、新聞の話題になることがある。キャーチャーのサインがよく見えないという例が多い。バッテリー間のサインは5本の指を使って、球種、コースを組み合わせるので、2本か3本かでは大きな違いであるが、この区別がはっきりしないのである。バッテリー間のサインミスは実はピッチャーの視力不足が原因だった、というのも珍しいことではない。
第三は、視力は低いことはわかっていても、メガネやコンタクトで矯正するのを嫌い、勘にたよってスポーツをする例である。安全上、問題があるような低い視力の人でも、慣れてしまえばとか、勘を働かせばできるからという理由をつけているが、正しく矯正すれば、安全で、しかもパフォーマンスがアップする可能性があることに気がついていない。視力が低い場合、スポーツでは次のようなハンディを負うことになる。
・ボールのスピード感が正確にとらえられない。こrはボールが小さければ小さいほど不正確になる。
・ボールや相手との距離の感覚が不正確になる。いわゆる目測を誤りやすい。
・相手や味方の表情がつかめないので、表情や眼の動きなどから次のプレーを予測することができず、対応が遅れる。
・色の感覚が不明瞭。ユニフォームなどの判別や、ボールと背景の区別が不正確になる。
・これらは、夜間ゲームや、暗い照明の下ではより顕著になる。
次のようなしぐさがあった場合、あるいはその選手は視力が低く、よく見えていないかもしれない。
・眼を細めて見る。
・片方の眼を前に出すように顔を向ける。
・まばたきが多い。
・しきりに眼をこする。
また、よい視力が必要とされるスポーツ、それほど要求されないスポーツがある。
●よい視力が必要なスポーツ
・すべてのボールスポーツゲーム。
・スキー、スケート、自転車競技のように、スピードの出るスポーツ。
(これらのスポーツではよい視力は必要で、視力矯正をしないと記録は伸びないといわれている。)
・射撃、アーチェリーなどの標的競技。
・ボクシング。
(ボクシングは安全上から、よい視力が必要である。アマチュアボクシングは医学的適性として、片眼視力が0.2以上なければならない、コンタクトレンズは使用してはならないという規定を設けている。)
●とくによい視力を必要としないスポーツ
・陸上競技のなかの長距離、マラソン、水泳のように同一の動作を繰り返し、かつスピードが出ないスポーツ。
・柔道、レスリング、相撲などの相手と直接組み合う格闘技。