高校野球とサングラス 規定
スポーツサングラスと高校野球
Ⅰ.公益財団法人日本高校野球連盟 「高校野球用具の使用制限」
18:サングラス
・サングラスを使用する可能性のある時は,試合前(メンバー表交換時)に主催者・審判員に申し出て許可を得たものの使用を認めることとする。
・メガネ枠(フレーム)はブラック、ネイビーまたはグレーとし、メーカー名はメガネ枠の本来の幅以内とする。グラスの眉間部分へのメーカー名もメガネ枠の本来の幅以内とする。また、著しく反射するレンズのサングラスの使用は認めない。
Ⅱ.公益財団法人日本高等学校野球連盟 会長八田英二
「平成29年度高校野球用具の使用制限」について
日本高野連発第16-0075号 平成28年11月30日
今般、「平成29年度高校野球用具の使用制限」が決定しましたのでお知らせいたします。昨年からの変更点は、「18.サングラス」の項に”メーカー名はメガネ枠と同色とする”と言う一文を追記しました。ただ、現在使用しているものが突然平成29年度から使用出来なくなる混乱を避けるため2年間は猶予期間とします。
また、最近、大会においてカラフルなスポーツメガネを使用してベンチ入りしている指導者、選手が散見されます。スポーツメガネの使用はそのものは何ら問題ありませんが、色彩やメーカー名の表示は「18.サングラス」の後段部分に準じた運用としますので都道府県連盟、各加盟校で指導の程お願い申し上げます。
伊万里・梶山捕手「勇気与える」
目の病気でプレー中サングラス着用
<ディリースポーツ 平成30年3月21日 掲載>
第90回記念選抜高校野球大会(23日開幕)の甲子園練習が20日、行われた。21世紀枠で初出場する伊万里(佐賀)が登場。サングラスをかけた4番の梶山勇人捕手(3年)が、扇の要としてチームを引っ張り、第4日第2試合・大阪桐蔭(大阪)との初戦に挑む。
もっと病気のことを知ってもらいたい。特別な思いを持って梶山は白球を追いかける。小学3年のころ、白目の表面を覆っている結膜が黒目に入り込む「翼状片」という病気を発症。原因となる紫外線から目を保護するため、小学5年から母の貴子さん(53)に勧められて屋外ではサングラスを着用してプレー。当初は恥ずかしさもあったが、すぐに覚えてもらえるため周囲から激励の言葉をかけられるようになった。多くの応援に「励みになった」と感謝する。
この日は雨天のため室内練習場での調整となり、サングラスをかけずに汗を流した。同じ病気を抱える人たちに「勇気を与えていけたら」と、優勝候補の大本命に食らいつく。
<平成30年2月4日 佐賀新聞掲載>
「翼状片」進行予防にサングラス 伊万里・梶山捕手
小3で発症 恩返しのセンバツ、活躍誓う
梶山さんは小学2年で野球を始めた。啓成中学校時代は主将として、現在の伊万里高野球部主将の犬塚晃海さん(17)とバッテリーを組み、佐賀県大会で優勝した。高校では、昨秋の県大会で打率4割の活躍で準優勝に貢献。67年ぶりの九州大会出場を果たし、甲子園への切符も手にした。
翼状片を発症したのは小学3年のとき。「黒目が一部、へこんだように見える」と母親が異変に気づき、病院で診断を受けた。
翼状片は結膜の病気の一種。白目の表面を覆う半透明の膜が、目頭の方から黒目に向かって翼のように三角状に伸びてくる症状からその名がある。紫外線や小さなほこりが目に入ると悪化する。視力が低下したり、放置すると失明したりする恐れもあり、症状によっては手術が必要になる。
発症時は深刻さを理解できなかった。そのまま1年を過ごしたが、日差しを浴びる時間が長いと、目に違和感を覚えた。5年生のとき母親に説得され、進行を防ぐためにサングラスをかけるようになった。
恥ずかしくて、周りの目が気になった。「調子に乗っている」と言われたこともあった。
中学1年の時、病気のことをインターネットで調べて「付き合っていくしかない」と受け止めた。「理解したことで開き直ることができた」と振り返る。
発症から8年。症状の進行はなく、視力は2.0を保っている。学校生活で窓際の席になると、替えてもらうときはあるが、野球のプレーには支障はない。
「両親のおかげ」と梶山さんは話す。サングラスを勧めてくれた母親と、所属していた少年野球チームの全員に梶山さんがいないところで病気の事実を打ち明け、支える雰囲気をつくってくれた父親に、改めて感謝の気持ちを口にする。
3月23日に開幕する選抜大会は、家族をはじめ、これまで支えてくれた人たちへの恩返しの機会でもある。「4番の仕事を果たしたい」。活躍を誓う瞳は輝いていた。